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⇒目次 ⇒第1回 ⇒第2回 ⇒第3回 ⇒第4回 ⇒第5回 ⇒第6回 ⇒第7回 ⇒第8回 ⇒第9回 ⇒第10回

第9回 都市の自然な再生と政策

9−1 都市再生の手がかり−ジェントリフィケーション理論

(1)アメリカ都市の衰退と再生
 第5回でのべたように、インナーシティ問題(都市中心部衰退問題)は、1970年代・80年代のアメリカの都市では大変深刻で、都市再開発などの再生方策がいろいろ取られたがなかなか成功しなかったわけです。
それは、既述した街区効果により広域のエリア範囲で地域イメージが悪くなると、いくら資金を投入して再開発をおこなってもそれは点的努力であったため、ほとんどの場合効果を上げることができず失敗してしまったからです。

 そのような中で、インナーシティ(都心周辺部も含む)で衰退した地域が自然に再生するという現象がみられるようになりました。これは、衰退地区に苦しんだ欧米の都市では福音でした。
 その例は、第8回でご紹介したIT産業都市、ニューヨークのシリコンアレー(シリコン横丁)とサンフランシスコのマルチメディアガルチ(マルチメディア谷町)などです。
 ここでは、このような自然な都市再生について、なぜそのようになったのか?そのしくみを考えてみたいとおもいます。

(2)ジェントリフィケーションとは
 ジェントリフィケーション(gentlification)とは、通常、
1)新しい産業部門に従事するなど、新しいワークスタイル・ライフスタイルをもつ、
2)年齢的には若い人たち、
が、都市中心部などにある衰退した街区に魅力を感じて居住・就業を始めることによって、地域が活性化することをいいます。
 このジェントリフィケーションを引き起こすキーパーソンとなる人たちのことをジェントリファイヤー(gentlifier)と呼びます。
欧米では、彼らが衰退した危ない街のいくつかでは、彼らが働きはじめたり、住みはじめ、老朽化した物件を次々にリニューアルして、おしゃれな街に変えていきました。やがて彼ら相手の商業(カフェ、レストラン、ブティックなど)もやってくるようになり、街が活性化したのです。
いわゆるクリアランスなどが組織の移植手術・外科的療法に当たるとすると、ジェントリフィケーション(町をジェントル=優しく紳士的にすること)は自然治癒的な内科的療法ということができます。

(3)ジェントリファイヤーの例
 この定義からも、ジェントリファイヤーというキーパーソンが非常に重要な役割を果たしていることがわかります。ジェントリファイヤーとはどのような人たちか?なぜ彼らが都市を活性化できたのか?ということを解明することがジェントリフィケーションという現象を知る鍵になります。アメリカのジェントリフィケーションでは次のような例が代表的です。

(例1)1980年代のFIRE部門(金融・保険・不動産業)「ヤッピー・ジェントリフィケーション」
 1980年代に中心都市に回帰したのが、当時花形業種であったFIRE部門(Finance、 Insurance、Real Estateの略で、金融・保険・不動産業をさす)のMBA(経営学修士号)を取得したエリートや、弁護士、教師などの若い専門職階層です。
彼らはヤッピー(YAPEE、young urban professionals=若い都市型専門職層の略)と呼ばれ、ディンクス(DINKS、Double Income No Kids=カップルで子供は作らないが十分な収入を享受する)というライフスタイルをもち、都心の職場や繁華街に近いところに住んで、通勤の手間を省き、都心の生活をエンジョイすることが流行になりました。
 この、ヤッピー・ジェントリフィケーションは1970年代末に始まり、1980年代にニューヨークなどの大都市で都心周辺部を活性化しましたが、1987年のブラックマンデーに始まる金融恐慌・金融部門のリストラによって下火になりました。

(例2)第8回でご紹介した、1990年代のソフト系IT部門「マルチメディア・ジェントリフィケーション」
 これに対し、1990年代に入ると、前回第8回でご説明した、ニューヨークのシリコンアレーやサンフランシスコのマルチメディアのように、マルチメディアのクリエータや関連の芸術家・ミュージシャン、メディア関係者、ソフト技術者がジェントリファイヤーとなって、マルチメディア・ジェントリフィケーションといえるものが起こりました。これは全米の主要都市でみられ、衰退した都市周辺部を活性化しただけでなく、アメリカのIT革命を下支えしたのです。
 こうしたIT系のクリエータやベンチャーの生活様式は、職住が近接するSOHO的な職場で、24時間仕事と生活が隣り合わせなものが都合がよいのです。ニューヨークでもロフト文化といって、古い倉庫的な物件を改修してオフィスや住宅にして、働いたり住んだりするのがお洒落なライフスタイルとして流行になりました。わが国では「ロフト」といえば、同名の高級雑貨店が店内のデザインで天井にパイプ類を張り巡らした倉庫的雰囲気を醸し出していて、商業デザインの一種として受け止められていますが、本来はこうした若者の都心周辺部の新しい職場のことなのです。

(4)ジェントリフィケーションの秘密はジェントリファイヤーのもつ性質に



 ジェントリフィケーションがなぜ起こったのか、それは、ジェントリファイヤーの性質に鍵があるとみられるのです。
 ここで、インナーシティ問題が顕著であったときの都市の中にいた集団の性質を考えてみましょう。
 図9−1では、
◎縦軸は、所得(街の更新能力)であり、上方が高く下方が低くなっています。
◎横軸は、居住のリベラルさをあらわし、右ほど「えりごのみ」し、左ほど寛容的(リベラル)となっています。
 1)伝統的なインナーシティの住民のうち、「旧来の高所得層」は、街を更新する財力をもちながら、インナーシティの環境悪化と共に、インナーシティの居住をきらって退出していきました。(図の右上に位置します)
 2)逆に、「旧来の低所得層」は、インナーシティに居住しつづけるが、街を更新する財力に欠けていました。(図の左下に位置します)
 このことが、インナーシティ問題の深刻さを浮き彫りにしているのです。
この2つのタイプの住民だけという単純な住民構成になってしまうと、インナーシティ問題は解決が難しくなるのです。これを「二極分化都市」といいます。

 そこで登場したのが、ジェントリファイヤーなのです。ジェントリファイヤーは、
  (ジェントリファイヤーの条件1)インナーシティを更新する財力を持ちながら、
  (ジェントリファイヤーの条件2)インナーシティに住むリベラルな選好を有している、

という性質をもっています。(図の左上に位置します)
 ですから、既存の「高所得層」(図の右上に位置します)とも、「低所得層」(図の左下に位置します)とも、異なる第三のグループであることが明確にわかります。

 彼らの性質のうち重要なのは「居住立地選好(住み替えの好み)の自由さ」で、衰退した町であるインナーシティを避ける消極的要因が少なかった点です。
都心の職場へすぐにアクセスできる気楽さが、格好良いライフスタイルとして歓迎され、インナーシティ(特に都心周辺部)の中の一定の地域への回帰を引き起こしました。この新しい特性によって、旧来の高所得層が敬遠していたインナーシティに入り込み、その更新を行うということができたのです。
旧来の高所得層は(条件2)が、低所得層は(条件1)が欠けているが故に、都市再生の主体にはなりえなかった、ということに注意してください。
演劇に「トリックスター」という言葉があります。お芝居のストーリーで、状況がいきづまってしまったとき、一見突拍子もない行動で、それを打開する第三者的性格をもった人のことですが、ジェントリファイヤーは、このように、旧来の高所得層と低所得層の二極分化都市の打開者なのです。

(5)ジェントリフィケーションの2段階理論− 将棋の手順前後
 ジェントリフィケーションを一種の「つゆ払い」と考える立場があります。
 欧米のように衰退が深刻化した都市では、もはや単なる、点的な個別の再開発では再生困難であることをお話しました。つまり、インナーシティが衰退し、街区効果が強いときには、いくら開発しようとしても、成功しない。ところが、一旦ジェントリファイヤーがやってきて街の環境を良くしてから、開発をすれば成功するということなのです。衰退してどうにもならなかった街を再生する手法として評価するのです。
 サンフランシスコの専門家と話したことが思い出されますが、単なる再開発ではダメなところをジェントリフィケーションが救うのです。
   1)面的衰退→ 単なる再開発→ (失敗)
   2)面的衰退→ ジェントリフィケーション→ 再開発→ (成功)

 こうした論法は、将棋や囲碁でいうところの「手順前後」(ほとんど同じ手で順番が後先になることによって結果が全然違ってくることのたとえ)に相当します。
 ジェントリファイヤーが入ってきて、古い倉庫が改善されお洒落なロフトやスタジオに変わり、彼ら相手の商業(カフェ、レストラン、ブティックなど)が起こってくると、街が綺麗に、なによりも安全になってきます。つまり街区効果が払拭されるのです。
 そうすると、インナーシティは、もともと都心へのアクセスは良く、大きな利潤が眠っています。そこで、街区効果が払拭され、開発が成功する条件が整うので、行政やディベロッパーが注目するようになり、多くの再開発事業が進むのです。

(6)第2段階の行き過ぎも・・・
ただし、第2段階で地代が上がり、もともとジェントリフィケーションを引き起こしたジェントリファイヤーも追い出される可能性も指摘されています。
 1)新産業の担い手たち、とくにITのベンチャーやクリエータは都市にとって新しいビジネスを生み出してくれる貴重な存在である。ジェントリフィケーションが行き過ぎると賃料が高騰し、もともと賃料が安いので入っていた活発な人たちが追い出されてしまう。
 2)ジェントリフィケーションで再生された古い歴史的資産が、煉瓦倉庫や日本では町屋のような価値のある景観であるとすると、これもまた、ジェントリフィケーションが進みすぎると、大規模開発によって破壊されてしまう。
 欧米では、こうした観点からすると、ジェントリフィケーションは、その行き過ぎをよくコントロールしていくということを指摘する人もいます。



9−2.新産業の振興と都市の再生

 私が前著(小長谷他1999)を書いたときに、よくアメリカの代表的IT大企業の例をあげ、こうした大企業を日本でも育てたい、という質問を受けましたが、アメリカはもともと全国の代表的都市に数万〜十数万社のベンチャー企業の集積地があり、その中から大企業が成長してきたのです。代表的企業を一つ二つと人工的に支援するよりも、こうしたベンチャーの集積地を支援し集合的に成長させることの方がはるかに効果が大きいのです。また過去のアメリカの各都市の施策もそうでした。
 ここで、公共の振興政策としてもっとも成功した、ニューヨーク・シリコンアレーの例をみてみましょう(図9−3)。


 この図で、援助の上流にある地方政府のニューヨーク市がもっとも上に、最終的な支援される側のベンチャー企業が下流に書かれています。上から下への支援の回路は大きく2系統に分かれています。

(1)まちづくり系支援回路
 ブラックマンデー以降のロウアーマンハッタンの空洞化に対して手を打ったキーパーソンは、ニューヨーク市経済開発公社(EDC:Economic Development Corporation)の理事長からニューヨーク下町振興組合(ADNY:Alliance for Downtown New York:ADNY) の理事長に移ったカール・ワイスブロッドです。市の経済開発公社や、有名な「BID(ビジネス改善地区:Business Improvement District)」であるADNYを通じて、光ファイバーケーブルを通したインテリジェントビル化を推進しました。
 こうした考え方を背景に、当時発足したばかりのニューヨーク市のジュリアーニ政権は、地元の主要企業のトップによって構成されるダウンタウン・ロウアーマンハッタン協会(Downtown - Lower Manhattan Association:DLMA)の協力を得て、1995年に具体的な税優遇措置を含む「ロウアーマンハッタン経済再活性化計画:Lower Manhattan Economic Revitalization Plan」を発表しました。
この計画は、1993年10月に前ディンキンズ政権が都市開発の観点から出した「ロウアーマンハッタン計画:Plan for Lower Manhattan」の考え方をほぼ踏襲し、地区の新たな方向として「24時間稼働するハイテク・コミュニティへの転換」を打ち出したのです。
 計画の大きな柱は情報産業の導入とそのための基盤整備、税制等の支援体制、空家ビルの「スマートビル」化と住宅転換などです。また都心地区をITD(情報技術地区)として指定し、ADNYに維持管理をまかせました。ニューヨーク市投資基金(NPO)は60社が出資し、クリエータにより安定的な財政基盤を提供しました(小長谷他1999の第W章)。
 もっとも重要な援助が、不動産業者をまきこんだプラグインゴービル計画における市場価格の3割引きの賃貸料と光ファイバーケーブルを完備したビルで、マルチメディア・インターネット関連企業の入居を優遇しました。この不動産業者を、市が『ロウアーマンハッタン経済再生計画LMERP』で、オフィスの固定資産税・賃借税等の減免、電力料金の優遇などをおこなって支援したのです。これらは、図9−3の左側の支援政策の方向であり、「まちづくり系支援回路」ということができます。

(2)同業者団体系支援回路
 新産業、特に、ソフト系IT産業などは、特にアイデア勝負という面があり、アイデアの交換によってまた新しいビジネスが生まれてくるというところが重要です。つまり、ソフト系IT産業の集積のためには、同業者同士や投資家との出会いを促すこと、つまり「人間的つながり」が最重要の要件となるのです。同業者同士の出会いから、リクルートなどの人材確保が行われ、アイデア交流から新しいビジネスが生まれてきますし、また投資家との出会いによってベンチャー資金にアクセスすることが可能となってきます。
 アメリカでは、しばしば「毎晩パーティを開け!」という合言葉が用いられました。つまり若者の交流が大事ということである。これは有名な「パーティ戦略」です。わが国でも渋谷ビットバレーが「パーティ」で始まったことは重要な点です。つまり、同業者集積のメリットを拡大するために、同業者団体を作って、同業者同士の接触やベンチャーキャピタルのような投資家との接触を促すことが大切なのです。
 この場合のプレイヤーは同業者団体系NPOです。ニューヨークではNYNMA(ニューヨークニューメディア協会)、サンフランシスコではMDGオーグのような同業者・業界親睦団体が形成されました。公共の立場からみれば、こうした同業者団体を支援することが考えられます。ニューヨークでは、NYNMAを市が側面から支援しました。これが図9−3の右側の支援政策です。

 こうした事例から、支援政策は、大きく、図9−3のように「まちづくり系支援回路」と「同業者団体系支援回路」の2つの方向に要約できることになります。
 「まちづくり系支援回路」は、いわゆるインキュベータ政策(=「羽化器、孵卵器の意で、ベンチャー向けの安いオフィスの提供のこと」)の一つの理論的根拠となっています。


9−3.大阪ではどこか?

(1)新産業立地の原則
 われわれにとって一番大切なのが、大阪の再生ですが、それでは、このように、「新産業、アート、ITなどに関わる若者が入ってこれるような自然な都市再生(ジェントリフィケーション)」を引き起こすとしたら、大阪ではどういうところが有望なのでしょうか?
 ニューヨークにおいて地価の最高点は金融街(ウォール街)と商業中心(5番街ミッドタウン)であり、シリコンアレーは、その近くの古い倉庫街で、都心の情報にアクセスできるにもかかわらず地価がやや安いところでした。
サンフランシスコにおいて地価の最高点は金融街と商業中心(ユニオンスクエア)であり、マルチメディアガルチは、その近くの古い倉庫街で、都心の情報にアクセスできるにもかかわらず地価が安いところでした。
これらのことから、以下のような条件が考えられます。

(条件1)空洞化条件・てごろな地代条件−オフ・ブロードウェイ理論
 空洞化して不動産が空き、地代も下がっているところ。(倉庫などが手に入る)
 都心の地価最高点の近くであるが、賃料がエアポケット的にやや安いところ

(条件2)若者文化の街−「若者の副都心」
 学生、芸術家、クリエータ、デザイナーなどが多い街
 公園・緑などのアメニティの存在



 誤解があるのですが、新産業のベンチャーは、最初から目抜き通りではないわけです。高価な地代を払うのは不利、第8回で説明したように、固定費削減戦略ですから・・・
都心周辺部で空洞化したところが適地なのです。逆説的ないいかたであるが、最先端の新産業が立地する可能性があるのは空洞化した街なのです。
 このことは逆にいえば、空洞化した街に対して、新産業のスタートアップ企業をいれていくということが、都市再生にとって最適の手法ということなのです。事実、世界中で、新産業のまちづくりが、都市再生と新産業振興の両面にとって常套手段でした。
 ニューヨークのシリコンアレーであるソーホー地区に「横丁(アレー)」という名が付いていたように、ニューヨークのソーホー地区で、ベンチャーが立地する町は、ブロードウェイの大通りではなく、大通りから2筋、3筋入った適当な地代条件をもった路地裏なのです。演劇やアートの世界で、「オフ・ブロードウェイ」といえば、修行の場であり、そこで成功したアーチストが表舞台であるブロードウェイに進出することがよく知られています。新産業、特にソフト系ITのベンチャーの世界でも、これと同じことがいえるのです。つまり、「IT系ベンチャーに対するオフ・ブロードウェイ理論」が成り立つのです。
 また、これまでの事例から、単に空洞化している街というだけではだめで、何らかの良い条件を備えていること、再生の芽があることが基本的である。特に、若者の文化のあるという、第2の条件が大切であることがわかります。

(2)日本全国の調査
 国土交通省が2001年に行った、各ターミナルからの1キロ圏のソフト系IT産業の集積調査(表9−1)によれば、わが国では、秋葉原地区が660社で1位、渋谷地区が480社で2位、新宿地区が430社で3位、心斎橋地区が420社で4位となっています。
 この調査では、渋谷と恵比寿が分離しているので、両者を併せると1位、これが渋谷ビットバレーです。秋葉原は後述のリナックスカフェや都のIT拠点を中心としてITの街として有名なところです。
 大阪では、心斎橋地区が全国4位(420社)、新大阪地区が全国7位(380社)、南森町地区が全国9位(340社)の集積があり健闘しています。

表9−1: ソフト系IT産業の集積地について 国土交通省(2001)による
順位
基準地名
1km圏事業所数
通称
施設
1
東京都 千代田区 秋葉原駅
660
  リナックスカフェ(千代田区)、クロスフィールド(東京都)
2
東京都 渋谷区 渋谷駅
480
ビットバレー  
3
東京都 新宿区 新宿駅
430
   
4
大阪市 中央区 心斎橋駅
420
デジタルタウン  
5
東京都 中央区 茅場町駅
400
   
5
福岡市 博多区 博多駅
400
D2K  
7
大阪市 淀川区 新大阪駅
380
  インキュイット(大阪府)
8
東京都 豊島区 池袋駅
360
   
9
大阪市 北区 南森町駅
340
扇町創造村 メビック扇町(大阪市)

(3)東京
東京でソフト系IT産業のクリエータが多いのは、丸の内・銀座の都心ではなく、副都心、それも、渋谷や秋葉原のような、若者文化の町です。
 1990年代後半に、日本で最初に認識されたソフト系IT産業の集積地が「渋谷ビットバレー」です。地域としての認知は、1999年3月に、ネットエイジの西川潔社長が呼び掛け、ネットイヤーグループ創始者の小池聡氏が賛同して、任意団体「ビットバレーアソシエーション」を作ったこと。パーティには都知事も参加して有名になりました。初期の参加者は、孫系のアスキー、インディゴ、マイクロソフト日本法人、楽天、サイバーエージェントなど多数。名前の由来は、渋谷の直訳ビター・バレーの語呂が悪いので情報の最小単位を表すビットに変えたものです。実は、渋谷といっても、渋谷駅前は地価が高いので、代々木、神宮前、道玄坂、恵比寿など、正確にいうと渋谷から一駅程度いったところが多かったのです。その後、東急グループがこのブームを背景に、マルチメディア系のインテリジェントビル、Q−FRONTや渋谷マークシティをつくり、渋谷の駅前にも事業所が集積するようになりました。
 渋谷の特性として、
 1)都心ではなく、副都心: 東京で、ソフト系IT産業の集積地は、当初、都心である銀座〜丸の内地区ではなかった。既存の大企業が本社を置く立地では、スタートアップ期のベンチャーには地代が対応できない。
 2)学生文化の街: 東京で、環状線であるJR東日本山の手線と郊外電車の発着地双方のターミナルになっている代表的な副都心は、北から池袋、新宿、渋谷と3つある。このうちでなぜ渋谷が最初に集積地として有名になったかというと、中高生、専門学校生、大学生など、学生の乗降客が非常に多く、昔から若者、特に学生文化の街であったからです。ビットバレー立ち上げ時には、デジタルハリウッドなど情報系専門学校生の存在も大きかった。
などがあります。

(4)大阪
 筆者らの大阪科学技術センターにおける調査や、前出の国土交通省の調査でも示されているように、IT系新産業を例にとるとその集積地は、表通りではなく、街区の中にあります。
 筆者がかつて1999年にマルチメディア事業所データから作った地図からは、新大阪、南森町、心斎橋、四つ橋の4大地区が抽出されました(小長谷2000a、2001c)。大阪では、御堂筋両端のキタ(梅田・大阪駅)とミナミ(難波駅)のターミナルが地価の最高点です。この地価の最高点に近いが都心周辺部で地価がエアポケット的に安いというのが地価条件になります。
 A)「新大阪」
東京にアクセスしやすいという立地要因のため、東京の業務の需要に対応する企業や、東京のIT系企業の大阪ブランチ・オフィスが多い。大阪府が淀川府税事務所を利用して、「インキュイット」というインキュベータを開設。
 B)「南森町・扇町」
地価最高点の梅田から歩ける程度なのに地価が安い。したがって「オフ・ブロードウェイ条件(都心のよこのやや地価の安いエアポケット的空間)」にあう。大阪市が水道局を利用して「メビック扇町」というインキュベータを開設。「扇町創造村構想」などがある。
 C)「南船場・堀江(心斎橋周辺)」
 国土交通省調査でも大阪で1位、西日本で第4位の集積となっているのが南船場・堀江(心斎橋周辺)である。問屋街で「オフ・ブロードウェイ条件」にあう。船場は繊維・雑貨・金融、堀江は材木・家具の問屋だった。またアーティスティックな文化のまちで、大阪で、渋谷ビットバレーに対応する「若者の副都心」という条件をもっとも備えている地区である。都市再生機構が「デジタルタウン構想」、関経連他が「デジタルシティ構想」をだしてきた。



結語
以上のことから、


まちづくりは、単なるハード整備だけでなく、
それとともに「新産業、アート、 ITなどに関わる若者が入ってこれるような自然な都市再生」を引き起こすことが大事、
ハード+ソフトの2面作戦が重要。

ということがおわかりいただけるかと思います。

【参考文献】
海道信清(2001)『コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて』学芸出版社。
小長谷一之(2005)『都市経済再生のまちづくり』古今書院。
小長谷一之(2006)「東大阪における産業クラスター空間の抽出」『創造都市研究』第1巻創刊号。
小長谷一之・北田暁美・牛場智(2006)「まちづくりとソ−シャル・キャピタル」『創造都市研究』第1巻創刊号。
荒木伸子(2006)「工業都市の再生」『創造都市研究e』第1巻創刊号、http://creativecity.gscc.osaka−cu.ac.jp/
小長谷一之(2007)「二一世紀の都市像」『学士会会報』2007年第T巻(862号)
佐々木雅幸(2001)『創造都市への挑戦−産業と文化が息づく街へ』岩波書店。
矢作弘他(2005)『持続可能な都市―欧米の試みから何を学ぶか』岩波書店。